自分に期待しない

自意識高め プライド高め 肯定感低め

どうせする

土曜保育の振り返り休日で一日休みでした。

することが何も無くて、いやあるんだけど、割と早急にやらなくちゃいけないことなんだけど、やる気が起きずにせっかくの9時半起床を15時半行動開始で台無しにしました。

 

やる気が起きない。

何をするにもやり始めるのが遅い。やらなくちゃなあ、という気持ちももちろんあって、やらないことによって想像出来る未来なんかロクなもんじゃなくて、だからやらなくちゃいけないんだけど、本当にギリギリになってからじゃないとやる気が起きない。

「よしやるぞ!」ではなくて「マジでこれはやらんとまずい」から始めてるので自発的なものじゃないから終始ずっと「めんどくせえ〜だり〜やりたくね〜〜」って思ってる。最悪。

ちなみに今日やらなくちゃいけなかったのは紙コップマラカス作りと1週間分の弁当作り置きです。

やれば割とすぐ終わるんですよね。大体。早めにやれば午後全部自由やったやんやって後悔して、また同じことを繰り返す。次こそちゃんとやろうって思って次の休みもダラダラ過ごす。ちゃんとやる自分に期待して、やらなくて期待はずれ。そういった自分にまた辟易。ここまで一連の流れを俯瞰で見てる自分に吐き気。休日の度に自分を嫌いになってる気がする。

 

前回小学生の頃はうんぬんって話をしてましたね。

小学生の頃はこんなんじゃなかった気がしなくもないです。こんなんだったんかな。もう覚えてないけど。小6ですら10年遡ってもまだたどり着かない年齢になってしまいました。とんでもねえことです。

何でしたっけ。そう、中学生時代。

数学が全く分からなくなったところから崩れ落ちた気がします。田舎なので小学校の同級生ほぼ持ち上がりで中一を迎えました。「どうせ(私の名前)は頭いいからさ〜〜」とテストの前に言われまくったのを覚えています。

中学校最初のテストはクラス内3位でした。「やっぱ頭いいね」と言われました。好きだった男の子と点数勝負していい感じにもなりました。褒められるのが嬉しかったのはここまででした。

数学が全く分からなくなりました。何を言ってるのか分からなくて、分からないことも分からなくて。ただ一つだけ分かっていたのは「私は分かっていなくちゃいけない人間である」ということだけでした。

誰もお前にそこまで求めちゃないだろ、おっしゃる通りです。求められていないけれど、今までの周囲からの優しい褒め言葉の数々、できる人間というレッテル、親や先生からの期待、こんなにありがたいものが、そう求められてると勘違いさせていきました。いつしか素直に受け取るだけでなく、私はこれらを「できなくちゃいけないプレッシャー」に変換して蓄積してしまいました。

分からないことを悟られてはいけない。教わってはいけない。教える側でなければいけない。先生にも友達にも誰にも聞けずに、ただただ真っ白な数学のワークがいつも目の前に広がっていました。「頭いいもんね、すごい」に応えなければと答えのページを丸写ししました。

 

しんどい